(学徒出陣5)
小学校教育
前に戻って申し訳ないんですが、小学校教育ですね、満州事変から始まって「支那事変」「アジア太平洋戦争」と戦争に明け暮れたその時代の、われわれの教育というのは、どういう教育をされたのかということになりますと、そこに書いてありますように、まず小学校教育には、修身という科目がありまして、これは道徳なんですが、ここで教育勅語、これは明治22年に発布されましたから、今から100年以上前にできたものなんですが、その教育勅語を徹底的に頭に叩き込まれたわけですね。ですから小学生でも教育勅語をスラスラ暗記できる。私もそれこそ60年以上経っているんですけど、「朕惟フニ我ガ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我ガ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ツニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我ガ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス…」あとまたずっと続くんですが、これはもう小学校の時に全部頭の中に入ってしまっているわけですね。
それでみなさん習ったと思いますけれど、天皇と皇后の写真とこの教育勅語が小学校の隅にある奉安殿、お宮さんをちょっと小さくしたような奉安殿というのがありまして、そこへしまっておくわけですね。それから天長節、昔は祝日が天長節とかいろいろあったんですが、その時に天皇と皇后の写真、それから教育勅語を必ず読むということになっているもんですから、その奉安殿から出す。
こういうようなことで、教育勅語は結局何だというと、内容は天皇は神様であると、生き神様であると、ですから天皇を敬わなきゃいけない。それからみんなが何かがあったら、国にですね、何かがあったら命を捨てて国のために尽くせと、いわゆる「忠君愛国」、こういうことですね。軍国主義というのは、その修身の中に書いてありますように、「イチタロウやーい」と。これは何かといいますと、戦争に行く自分の子どもが船に乗って、大きい船が行く時にお母さんが浜辺でもって「イチタロウやーい。わかったら手をあげろ」と、こういうふうにお母さんがいったら船の中から手があがった。それでイチタロウは戦争に出て行った。こういうふうな話が1年生の教科書に出ているわけですね。
それからその次の「木口小平」というのは、この木口小平はラッパ手だった。ところが弾があたって、ラッパが吹けなくなって、そこでそのまま戦死したんですが、「死んでも口からラッパをはなしませんでした」と出てくるわけですね。
ですからそういうこととか、それから「爆弾三勇士」というのは、爆弾を持って3人でもって鉄条網を破壊しに飛び込んでいった。ところが、なかなか鉄条網のところにたどりついて爆弾だけ入れてもなかなか入らない。そこで3人で爆弾を抱えて飛び込んで自分はもちろん自爆なんですが、そういうふうにして3人死んだというふうなことで、「爆弾三勇士」。
そういうふうなこととか、「旅順港閉塞」「日本海海戦」というのは、これは旅順港は港の入り口をふさぐために船をしずめて、ロシアの艦隊を出さないようにする。そういう決死隊が出たという話とか、それから先ほどから話をしております静岡連隊は、その時に乃木希典という陸軍大将の下で203高地を攻撃していて、連隊長以下全部戦死というふうな日露戦争の時にも静岡連隊はやられているわけなんですが、それが「旅順港閉塞」にからんでいる戦いなんです。
「日本海海戦」というのは、これは海軍の方で、ロシアのバルチック艦隊がヨーロッパから東洋へずっと来た時に、対馬沖でもって東郷平八郎が迎え撃った。このときの有名な電報が「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出撃。これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども、波高し」という電報をうってきたわけなんですね。
そういうふうなことが全部修身の教科書に載っているわけなんです。これで忠君愛国、天皇を神格化する、愛国主義を徹底的に小学生の時から叩き込む。
その次に、歴史の方は古事記を主にしてですね、今では神武天皇とか、あれから12代ごろの天皇なんていなかったよということでしょうけれども、あのころは日本は神国であると、天孫降臨で高天原から宮崎県の高千穂峰に降りてきたのだと。それが続いて今の124代天皇まで万世一系の天皇が続いているんだよと。だから天皇は本当に神様であるというんで、歴史では、初代の神武天皇から124代はそのときは今上天皇、昭和天皇というおくり名ありませんから大正今上ですけども、そういうやつを小学校の時から暗記して、これも全員「神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化・崇神・垂仁…」とずっと124代が暗記できないと、静岡中学の入学試験に受からないよということでもって、受験勉強のときにいつも124代の天皇の名前を言わせられた。ところが途中でおかしなことになって、後醍醐天皇の時に、北朝と南朝に分かれた。どっちが正しいのか。天皇が2人出てきちゃった。あの時は南朝の方を正統としたために、北朝についた足利尊氏は逆賊になった。今はそうでなくて、北朝の方があれになってますが、あのときはそういうわけで、南朝の方が正しいと。北朝についたのはみな逆臣であるというふうなことで、例えば、江戸時代の末期ですか、足利尊氏の木造を三条の河原へさらしものにしたというふうなこともありましたけれども、そういうふうなことで、今から言ってみれば実にいいかげんな歴史なんですけれども、いずれにしても皇室を神格化するというか、そういうふうなことを徹底的にやったわけですね。それでわれわれは戦争というものは兵隊になったらば、国のために死ぬんだということに何も疑問を抱かないできてしまったわけですね。
3番目のボーイ・スカウトというのは、これは軍国主義になってきたからでしょうけれども、小学校5年からボーイ・スカウトで、これは外国から入ってきたんですけれども、「備えよ常に」というモットーがありまして、団体訓練をやる。一歩進めば軍隊教育につながるんですが、そういうやつを小学校5年からやって、団体訓練をやったわけです。
これに匹敵するのがドイツのヒットラー・ユーゲント、いわゆるドイツ少年団ですね。だから、日本とドイツが友好条約を結んでからヒットラー・ユーゲントが日本へ訪問してきたり、ボーイ・スカウトがドイツを訪問したり、そういうふうにして小学校の教育というものが精神的にも、いろいろなことを批判するとか、深く考えることができない年代から今まで言ったようなことを叩き込まれたわけですから、そのままストレートで中学校に行ってしまったわけです。